パリ五輪は準々決勝敗退
2024年パリ五輪のバレーボール男子日本代表は準々決勝で敗れ、7位に終わった。開催国として出場した東京五輪で29年ぶりに決勝トーナメント進出し、パリ五輪には2008年の北京五輪以来となる自力出場。1972年ミュンヘン五輪で優勝して以来52年ぶりのメダルが期待されていたが、惜しくも届かなかった。
歴代五輪の日本代表成績とメダル獲得チームは下の通りとなっている。
2024年パリ五輪のバレーボール男子日本代表は準々決勝で敗れ、7位に終わった。開催国として出場した東京五輪で29年ぶりに決勝トーナメント進出し、パリ五輪には2008年の北京五輪以来となる自力出場。1972年ミュンヘン五輪で優勝して以来52年ぶりのメダルが期待されていたが、惜しくも届かなかった。
歴代五輪の日本代表成績とメダル獲得チームは下の通りとなっている。
坂上光男監督が率いた1964年の東京五輪では銅メダル。1回戦総当り方式で行われ、日本は韓国、ブルガリア、アメリカ、ソ連、ブラジル、ルーマニア、オランダに勝ち、ハンガリー、チェコスロバキアに敗れて7勝2敗だった。8勝1敗のソ連が金メダルに輝いた。
1968年メキシコ五輪では松平康隆監督に率いられ、ポーランド、東ドイツ、メキシコ、ベルギー、アメリカ、ブラジル、ブルガリアを撃破。チェコスロバキアとソ連には敗れて7勝2敗で銀メダルを獲得した。金メダルはソ連だった。
そして、今も語り継がれる1972年のミュンヘン五輪。松平康隆監督の下、南将之や猫田勝敏、中村祐造、横田忠義、大古誠司らの強力布陣で臨み、予選リーグを5連勝で首位通過した。準決勝ではブルガリアに2セットを連取されながら3セットを取り返して逆転勝ち。決勝では東ドイツを破って見事、金メダルに輝いた。
1976年のモントリオール五輪は小山勉監督が指揮を執り、予選リーグを2位通過。準決勝でポーランドに敗れ4位だった。金メダルはそのポーランドだった。
1980年のモスクワ五輪は出場をボイコットし、1984年のロサンゼルス五輪では中野尚弘監督が指揮。田中幹保や三橋栄三郎、川合俊一らが奮闘したものの7位に終わった。
小山勉監督に率いられた1988年ソウル五輪は10位。アメリカがロサンゼルス五輪に続いて連覇を果たした。
1992年のバルセロナ五輪は大古誠司監督の下、植田辰哉、中垣内祐一、荻野正二、南克幸らで臨んだが6位。ブラジルが金メダルを獲得した。
日本男子は1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネと3大会連続で五輪出場を逃し、2008年北京五輪に4大会ぶりに出場。植田辰哉監督が指揮を執ったが、予選リーグで5連敗を喫して11位に終わった。
2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ五輪も出場できず、3大会ぶりに出場したのが前回の2021年東京五輪。中垣内祐一監督の下、石川祐希、清水邦広、西田有志、高橋藍らのメンバーで臨み、予選リーグを3勝2敗で3位通過したが、準々決勝でブラジルに敗れ7位だった。決勝でROC(ロシア・オリンピック委員会)を破ったフランスが初優勝した。
フィリップ・ブラン監督に率いられた2024年パリ五輪は、石川祐希ら前回の悔しさを知るメンバーがメダルを目指した。
予選リーグはドイツとアメリカに敗れたもののアルゼンチンを3-1で下し、プールCを3位で突破。準々決勝ではイタリアから2セットを連取して第3セットもマッチポイントを奪ったが、まさかの逆転負けを喫し、またしても準々決勝で涙を呑んだ。
優勝は開催国フランス。ポーランドが銀メダル、アメリカが銅メダルを獲得した。
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