五輪と世界選手権を通じて初の表彰台
日本水泳界の歴史に新たな1ページを刻む怒濤の泳ぎだった。6月25日までハンガリーのブダペストで行われた世界水泳選手権(競泳)の男子100メートルバタフライで東京五輪代表の25歳、水沼尚輝(新潟医療福祉大職)が50秒94で銀メダルに輝き、この種目の日本勢で五輪と世界選手権を通じて初の表彰台に立った。
解説者でレースを見守った五輪メダリストの松田丈志氏も「行け!行け!行け!歴史を変えましたよ」と興奮して絶叫したほどの泳ぎだった。海外メディアは「バタフライ・マジック」「日本の新たなスター」などと称賛。クリシュトフ・ミラク(ハンガリー)が水沼と0秒80差の50秒14で200メートルとの2冠に輝いた。
日本の競泳陣は世界水泳で200m平泳ぎの花車優と水沼の銀メダル2、200m個人メドレーの瀬戸大也、200mバタフライの本多灯の銅メダル2にとどまり、金メダルなしは2大会ぶり。総数4個は2001年大会以降では最少に並び、若手の台頭が目立った海外勢に比べて、2024年パリ五輪に向けた強化で課題も残したが、水沼の銀メダルはそんな厳しい戦いの中でも大きな価値がある歴史的な快挙だった。
180センチ、83キロの恵まれた体格。世界の壁が厚いこの種目で、日本選手の決勝進出だけでも世界選手権で5大会ぶりだった。準決勝では自身の日本記録を0秒05更新する50秒81をマーク。さらに決勝で大きな壁を破ると、大会スローガンを引き合いに出し「メーク・ヒストリー(歴史をつくる)ができた」と声を弾ませ、男泣きした。
磨き上げた後半勝負で真価を発揮
自身のインスタでは「水が大好き。だから名前にも水がある。地方から世界のメダルに挑みます」と自己紹介。快挙を達成した後は「世界水泳日本人初男子100mバタフライで偉業を成し遂げることが出来ました。表彰台の景色は過去の自分から考えると不思議で夢見心地という言葉がふさわしい気がしました。まだ、メダリストとしての実感は感じられていません」と素直にコメントした。
100メートルバタフライは高いフィジカル能力が求められるため、日本勢は長らく苦戦を強いられてきた。前半のスプリント力とパワーが必要なこの種目で、海外勢に体格で劣る日本勢はどうしても活躍できなかった。陸上と比べるのは難しいが、100メートルや200メートルの短距離で表彰台に立つようなレベルの困難さといえる。
女子では1972年ミュンヘン五輪で青木まゆみが金メダルを獲得しているが、前半からのスピード勝負ではどうしても分が悪い。だからこそ後半の追い上げに懸けた。メダルの偉業はその戦略が結実した形だ。
50メートルのターン直後のドルフィンキックを猛練習
国際水連(FINA)の公式サイトやスポーツ各紙の報道によると、運命のレースは前半から飛ばす海外勢にペースを乱されず24秒00の8位でターンすると、磨き上げた後半に作戦通りの追い上げで一気に浮上。最後はタッチ差勝負で競り勝って6人抜きに成功してゴール直前で横並びの2位争いを制した。3位とはわずか0秒03差だった。
東京五輪で準決勝敗退後は後半を26秒台で泳ぐことに取り組み、50メートルのターン後の15メートルを特に磨いたという。現地からの報道によると、海外勢を参考にイルカのように両足を同時に上下させて足の甲で水を蹴るドルフィンキックを打つテンポとタイミングを早め、回数を2、3回増やしたことで勢いが付いてタイムが伸びたと自己分析した。
今大会の準決勝の後半50メートルは26秒62、決勝でも26秒94と2本とも作戦通り「26秒台」をマークしたことが結果に結び付いた。ミラクの決勝は26秒72だった。
足のサイズは30センチ、雑草魂が原動力
本人曰く雑草魂が原動力だ。栃木・作新学院出身。高校時代は目立った成績を残せず、首都圏の有力大学からは勧誘の声がかからなかった。2歳上の萩野公介氏は高校の先輩だ。
それでも足のサイズは30センチで大きな推進力を生む。そこに魅力を感じた新潟医療福祉大の下山好充監督に誘われ、競技を続行した経緯がある。
今年3月の国際大会日本代表選考会で50秒86をマークして13年ぶりの日本新。世界水泳の準決勝では50秒81と更新した。決勝で悲願の表彰台に立ち、さらに上も見据える。
インスタでは「これからも一緒に新しい歴史を創っていきたいと思います」と力強く宣言した。次に見据える先は世界最強のミラク。その先に金メダルの頂点が見えてくる。
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